今日、O女子大のBさんからメールを受け取る。先日共著で書いた論文に、改訂を加えることになる。Bさんのメールには、修正すべき点についての、おおまかな指示が書かれていた。自分は、特に深く考えず、その指示に従うことにする。
本来であれば、自分は、この論文の共著者であるのだから、Bさんと対等に意見を交わして、主体的な意識を持って、論文の修正に臨むべきである。しかし、今の自分には、それが出来そうになかった。それで、全面的に、Bさんのアドバイスを受け入れて、論文に修正を加えることとする。
つい最近まで、自分の精神状態は、比較的安定していたのだが、ここ一週間ばかり、また、調子がおかしくなって来た気配であった。
通勤時の地下鉄車内で、自分は、遠巻きに周囲の他人から観察されているような、さらには、監視されているような気がしてくるのであった。また、仕事帰りに、駅ビルの書店に立ち寄ることが多いのだが、そこでも、周囲の客から、じっと観察されているような気がしてくるのであった。例えば、書店内において、自分の周囲に立っている他の人々が、自分が書棚からどのような本を手に取るかを、注意深く観察しているような、そんな感覚に陥るのである。どうして、そんな考えが、自分の頭の中に浮かんでくるのか、その原因は、全く不明である。
そんなとき、自分は、妻から持たされている、ペットボトルに入れたお茶を飲んで、一呼吸置いてみたり、区立図書館から借りた本を読んでみたりする。(本屋さんの中では、区立図書館から借りた本を開くことは無いのだけれど。)別に、そういうことをしたからといって、自分の心の中の何かがプラスに改善される訳ではないのだが。
昨日も、仕事帰りに、行きつけの散髪屋さんに立ち寄って、髪を思い切って短くしてもらったのであるが、その際も、いつも髪を切ってくれるスタッフの方の自分に対する対応の仕方が、普段と異なっている気がして仕方が無かった。特に、「何が違う」、とは、はっきり自分でも説明出来ないのだが。
どうでも良いことだが、自分は、ここ一ヶ月ばかり、O女子大のBさんとの新たな共同研究(2-qubit系のentanglement measureに関する考察)のために、少しずつ、計算を進めて来た。特に、ここ二週間程は、同じ問題をずっと考え続けている状態である。そのせいか、他のことに気が回らなくなってしまい、例えば、本をきちんと筋を追って読んだり出来ない状態になってしまった。それで、気分転換は、専ら、CDで音楽を聴くことにしている。
自分にとって、理論物理の研究において、同じ問題を何週間もずっと考え続けることは、とても精神的に疲れることである。自分の場合、いわゆる物理数学に関する技術的な困難に出くわして、研究が先に進めなくなるケースがほとんどである。そのため、一つの数学的な問題を、ずっと考え続けなくてはならないことになる。
しかも、その考え続けなくてはならない数学上の問題が、正統的な数学の立場から見れば、それほど重要な問題ではなく、単なる、物理数学の面倒な問題である場合が多いのであった。だから、自分の取り組んでいる問題は、大抵、数学的に洗練されたものではなく、どちらかと言うと、見た目にゴテゴテしたものが多い。
二十代の頃の自分は、理論物理学の持つ数学的な美しさに憧れを持っていた。だから、わざわざ大学院にまで行って、理論物理の勉強をした訳である。しかし、中年にさしかかろうとしている(もしくは、中年真っ盛りの)自分は、全然美しくない研究を続けている。
でも、それを嘆いても仕方の無いことなのかなと、考えたりした。
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