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2009年1月

2009年1月31日 (土)

記憶の欠落?

今、1月30日の深夜に、このブログを書いている。最近、とても気になっていることがあるので、ここに書き止めておく事にする。

数日前に、Jaynes-Cummings modelの崩壊・復活現象に関する論文の修正を行ったときのことである。仕事から帰って来て、夕食と風呂を済ませ、セロクエルと睡眠薬を服用する。それから、Latexファイル、および、EPSファイルの修正に取り掛かった。作業は、Windowsのパソコン上で行った。それで、10時か11時近くに、作業に一区切りが付いた。20090131blog

原稿ファイルが仕上がったので、後はそれを学術雑誌編集部にWebで投稿するだけとなった。このような場合、自分は、Windows上で作成したファイルを、一度、Linuxのパソコンに移し、いわゆるDOS形式からUNIX形式にファイル変換することにしている。これは、日本語Windows環境上で作成したファイルが、外国の編集部のコンピュータで処理される場合、文字化け等のトラブルが起こらないようにするためである。自分は、このために、英語版のLinuxをインストールした古いIBM ThinkPadを保有している。

その夜、自分は、もう遅い時刻なので、仕上がった原稿ファイルをLinuxパソコンに移す作業は、明日行うことにしようと考えた。そのとき、自分は、セロクエルと睡眠薬の影響で十分眠くなっていた。それで、その夜は、そのまま寝てしまった。

翌日、仕事から帰って来て、自分は、早速昨日の作業の続きをやろうと考えた。それで、Windows上の原稿ファイルをUSBメモリにコピーし、それを、LinuxのインストールされているThinkPadに差し込んだ。

ところが、である。Linuxパソコン上には、すでにLatexおよびEPSファイルが保存されていたのである。しかも、きちんとディレクトリ構造が作られていて、その中に、必要なファイルが整理された状態で保存されていた。

自分は少し驚いた。どうして、これらのファイルが、ここに格納されているのだろうかと考えた。ファイルの日付を見ると、確かに昨夜、ファイルが保存されたことになっていた。

それで、自分は、前夜、原稿ファイルをLinuxパソコンにコピーしたのを、自分が忘れてしまっているという事実に気付いた。もしくは、無意識のうちにファイルの移動作業をやっていたのかもしれない。

しかし、この推測は、自分にとって、容易には受け入れかねるものであった。というのは、Linuxのパソコンを立ち上げて、USBメモリのファイルをパソコンのディスクにコピーする作業は意外に面倒で、少なくとも15分くらいはかかる作業だからである。一部、superuser権限で実行しなくてはならないコマンドもあり、無意識のうちに出来るほど簡単な操作ではないのである。

自分は、本当に記憶が細切れになって、その一部が失われるようなことが起こり得るのだろうかと考えた。妻に相談すると、「それは、単なるあなたの勘違いよ」、と言って、真面目に受け取ってくれなかった。

実は、自分はこれまでにも、就寝直前や就寝中の出来事を忘れてしまう事が何度かあった。部屋の窓を無意識に開け閉めしていたり、メモ類を普段置かない場所に置いてみたり、といった調子である。

しかし、今回のLinuxパソコンのように、これほど複雑な作業が記憶に残っていないのは、初めてのことであった。

自分は、こういうのを健忘症というのかなと思ったりした。統合失調症のせいだろうか、それとも、睡眠薬の副作用だろうか、と考えたりした。

ところで、論文は、無事、学術誌編集部とarXiv.orgに投稿することが出来た。

他の統合失調症患者の人は、こういう症状があるだろうか、と考えたりした。今度、かかりつけの精神科のお医者さんに相談してみようと考えた。

ここから、1月31日の出来事を書く。

朝遅い時刻に起きて朝食を取って、外に出掛ける。まず、大岡山東京工業大学図書館に寄って、借りていた本を返却する。その後、目黒区立洗足図書館に向かう。予約していた、「大どろぼうホッツェンプロッツみたびあらわる」(プロイスラー著、偕成社)を借りる。これは、息子に頼まれていた本である。また、「名探偵コナン」のマンガがあったら借りてくるように頼まれていたのだが、残念ながら今日は本棚になかった。恐らく、他の子供たちによって借り出されているのだろう。その後、図書館近くの理髪店で髪を切ってもらう。

自宅アパートに戻る。何だか今日は調子が良くない気がした。地下鉄の車両内で、他人から見られているような気がしたのである。それで、リスパダールの液体タイプの薬を飲むことにする。この薬は、以前、高槻市内の精神科クリニックで処方されたものである。まだ、飲まずに残っている分があったのである。

いろいろ考えて、これから先の当分の間は、量子情報理論の研究を中断することにする。現在自分は、プレプリントを2本発表した状態にあり、それらの論文は学術雑誌で査読を受けている。もう十分頑張ったから、しばらく休もうと思ったのである。

また、自分は、現在、職場で幾何光学シミュレーションソフトの開発を担当している。上司から、このプログラムのプロトタイプを3月末までに開発し終えるように厳命されている。だから、量子情報理論の研究はお休みにして、プログラム開発の方に力を注がなくてはならない状況にある。週末も、プログラムのコーディングをしないと、間に合わない感じなのである。

幾何光学シミュレーションソフトの開発は、新しい職場での最初に任された仕事である。これをきちんと仕上げないと、周囲の人は自分を評価してくれなくなるだろうな、と感じている。別に自分は、職場の同僚から、「仕事の出来る優秀な人」と見られたいとは思っていない。しかし、年齢と経験相応の仕事がこなせなければ、やはり、周りの人は自分のことを認めてくれないだろう。周りの人に、ある程度認めてもらえなければ、職場は自分にとって、いづらいものとなってしまう。

そんな訳で、明日はプログラムのバグ探しをする予定である。

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2009年1月28日 (水)

プログラミングに追われる日々

職場で自分は、C言語による幾何光学シミュレーションプログラムを書く仕事を担当している。自分はこの仕事にとても苦労している。20090128blog

自分の仕事振りを監督する立場にある上司の方は、年季の入ったベテランプログラマーであり、そのため、非常に細かい所まで目が行き届いてしまうのである。その上司の方に言わせると、自分のプログラムの書法はまるで素人で、洗練されたコーディングスタイルからは程遠いものなのだそうだ。

実際、これまで自分は、ほぼ自己流で数値計算プルグラムを書いて来た。自分の書いたソースコードを他人に見せた経験もほとんどない。

例えば、明日、自分は、これまで書いて来た1500行程度のC言語プログラムを、適切な長さのプログラムに分割し、いわゆる分割コンパイルを実行しなくてはならない。しかし、現時点で、自分は分割コンパイルのテクニックを全く理解出来ないでいる。明日の午前中、職場で分割コンパイルについて大急ぎで勉強しなくてはならないだろう。

毎週末に、管理職のスタッフに、プログラムコーディング作業の進捗を報告することになっている。これも、自分にとっては結構苦痛である。プログラムの落とし穴にはまって、コーディング作業があまり進まなかった週は、進捗報告書の内容も貧弱になってしまい、自分としては、「少し困ったな」という感じになる。しかし、作業が進まなかったのは事実なので、正直に報告するしかない。やれやれ、という感じである。

こんな状況で、この職場で末永くやっていけるかどうか、とても先行き不透明な状態である。

でも、新しいこの職場で、出来るだけ永く勤めたいので、やはり頑張るしかないだろう。

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2009年1月27日 (火)

今日は職場の新年会

今は、1月26日から27日へ移り変わる、深夜である。今日職場で、C言語の幾何光学解析プログラムを書いていたら、小さなつまずきにはまってしまい、無駄に時間を費やしてしまう。C言語プログラムをVisual Studio Express 2005でcompileして作業を進めているのだが、全く同じ計算を行っているはずの二つのプログラムの実行結果が異なっていることに気付いたのである。

20090127blog 二つの実行結果ファイルの違いは、いくつかの実数値の小数点第7位以下であった。無視しても良い誤差なのだが、なぜか気になってしまう。どういう経緯で、二つの数値計算結果に微妙な食い違いが現れたのか。(ちなみに、実変数型は、事情により単精度のfloatを使っている。)

自分は、これまで結構、Fortranで数値計算プログラムを書いてきたが、今回のプログラムは規模も大きく、数千行を超えることは確実と思われる。自分がこれまでの人生の中で書いてきたプログラムの中で、最大規模のものとなるだろう。システムが複雑になるにつれて、バグが発生しやすくなり、またそれを修復するのに必要な時間も増大しつつある。

就業後、簡単な新年会が行われた。簡単な自己紹介をさせられた。

自宅に戻って、夜の12時まで息子の宿題を手伝う。

今日は疲れた。

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2009年1月25日 (日)

あまり愉快でない日曜日

朝遅い時刻に目を覚まして、朝食を取る。Jaynes-Cummings modelの崩壊・復活に関する論文原稿を見ていたら、数値計算の間違いに気付く。その誤りは、とても小さなものなのだが、誤りであることには間違いなかった。そこで、一部の数値計算プログラムを修正して実行し直すことにする。この作業には数日間必要である。そのため、論文原稿を投稿するのは、しばらくお預けとなった。20090125blog_2

それから、息子の勉強の手伝いをする。自分は、息子に、「算数ドリル2ページと漢字ドリル4ページをしよう」、と言った。すると、息子は、「算数ドリル2ページと漢字ドリル2ページにして欲しい」、という意味のことを言って、なかなか勉強を始めてくれなかった。結局、漢字ドリルを4ページしてくれたのだが、非常に不本意そうな様子であった。

息子は、普段は、父親である自分に対して素直で優しい態度で接してくれるのだが、何故かドリルをするときは、非常にとげとげしくなる。ちょっと反抗的だなと思える態度を取るときもある。それだけ、息子は精神的な成長を遂げている、ということであろうか。

しかし、小学校程度の勉強なら、今のように親である自分が見てやることも可能だろうが、中学校に進学したら、もう勉強を手伝うことは不可能になるのでは、と思っている。数学なら何とかなるかもしれないが、歴史や地理なら無理だろうと思う。自分の英語も、学術論文を書くための英語になってしまっていて、いわゆる受験英語は心もとない状態である。古文や漢文もだめだろう。(古文や漢文は高校生で習うのだろうか。それも、よく覚えていない。)だいたい、自分も妻も、小学4年生レベルの漢字ドリルですら、しばしば間違うことがあるのである。(例えば、妻は、百科事典を百科辞典と書くことがあるそうである。)

何となく、今日は気分が乗らない日だなと感じる。息子と、漢字ドリルのことで、言い争ったからかもしれない。と言うか、今日、自分は息子に、「もう少し勉強しなさい」という意味の注意と言うか、小言と言うか、そのようなものを言ったのである。そういうことを息子に言う度に、自分は自己嫌悪を覚える。

一体、自分に、子供のすることを注意する資格があるのだろうか、と、つい考えてしまうのである。自分は子供の頃、学校が好きではなかった。人から物事を教えてもらう、というのが非常に苦手なのである。それに、先生とか教師と呼ばれる人たちに、自分は不信感を抱いていた。極端な話、「教師が常に人格者であるとは限らない」、と考えていた。このような考えは、漠然とではあるが、小学校の中学年くらいから持ち始めていた。

よく自分は他人から、「大学院で博士号まで取ったのだから、よほど勉強が好きなのですね」、といった意味のことを言われることがある。確かに自分は、世間一般の人より長い期間、学校と呼び得る機関で教育を受けてきた。しかし、それでも、人から物事を教わるのは苦手である。基本的に、自分は、必要なことだけを自分で勉強する人間である。高校でも大学でも、教師の話す授業・講義等の内容を真面目に聴いたことはほとんどない。

息子が勉強を嫌がる様子が、過去の自分と重なるのである。

けれども、その一方で、自分は息子に、出来るだけ勉強をさせねば、とも感じているのである。息子に、出来れば、いろいろな本を読んだり、自然科学に親しむ人間になって欲しいのである。また、出来れば、将来、大学にも行ってもらいたいと考えている。

こういうのは、単なる親のエゴなのだろうか。

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2009年1月24日 (土)

オーケストラを聴きに行く

朝起きて朝食を取って、外に出掛ける。まず、目黒区立洗足図書館に寄る。この図書館で、「がばいばあちゃん」シリーズの本(島田用七著)と、「名探偵コナン」のマンガを返却する。「がばいばあちゃん」シリーズの本は妻が読むために借りたもの、「名探偵コナン」のマンガは息子が読むために借りたものである。このほかに、「大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる」(プロイスラー著、偕成社)も返却する。この本も、息子が読むために借りたのである。20090124blog

その後、荻窪の杉並公会堂大ホールに向かう。JR東日本交響楽団の演奏会を聴きに行くためである。ボロディン・歌劇「イーゴリ公」より序曲、ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番、ブラームス・交響曲第3番が演奏された。アンコールでは、チャイコフスキー・「眠れる森の美女」 のワルツ(だと思う)が演奏された。

開演前に、大ホール入り口に続く階段で、大勢の人と行列を作って扉が開くのを待っていた際、そばに立っていたカップルが、「やっぱり無料だから、結構人が来ているね」と話し合っていた。自分は、誰でも考えることは同じだなと思った。お金をかけずに、ちゃんとしたクラシックの演奏を聴くには、こういう機会を積極的に活用するしか手はないだろうと自分は思っている。

客席は半分ぐらいが埋まっていたように思う。今日演奏された曲目で自分がちゃんとCDで聴いたことのある曲は、ブラームス・交響曲第3番だけであった。そして、当然だが、オーケストラの皆さんはCD通りに演奏していた。自分は、普段CDで聴いている曲が生演奏で聴けて、ただそれだけでうれしくなった。

その後、自宅アパートに戻った。

この二週間ほど、自分は、妄想のようなもので悩まされている。妄想とは以下のようなものである。通勤途中の地下鉄車内で、会ったこともない赤の他人から、じろじろ見られて観察されているような気がしたり、「なんて、ひどい奴なんだ」と言う声が聞こえたりである。(これは、妄想と言うより、幻聴なのかもしれない。)また、職場オフィスが入っているビルのエレベーター内で、知らない人から、意味ありげな表情で見られたり、と言うか、そのような気がしたり、である。また、数日前から、職場の総務課の女性の何人かが、自分を無視しているような気がしている。

かかりつけの精神科クリニックのお医者様に話すと、薬を増やしても良いが、これ以上増やすと、仕事に差しさわりが出るかもしれない、と言われる。それで、結局、薬の量はこのままで、様子を見ることとなる。(自分は、毎晩、セロクエルを2錠服用している。)

妻に相談すると、考え過ぎなのではないか、と言われる。

Jaynes-Cummings modelの崩壊・復活現象に関する論文の原稿が、ほぼ完成したので、明日投稿してみようと考えている。

自分の興味は、早くも、次の研究テーマに移っている。新しい研究テーマは、Bixon-Jortner modelというものである。これは、quantum opticsの分野で出て来るモデルである。自分は、このモデルの存在を、「Methods in theoretical quantum optics」(S. M. Barnett, P. M. Radmore著、Oxford University Press)というテキストを読んで知った。非常に風変わりなモデルで、いろいろ調べたら、新しいことが見付かるのではないかと思ったのだ。

職場での仕事は、何とかこなせている、と言った状況である。自分は、先輩プログラマの指導の下に、ある光学的なシミュレーションプログラムをC言語で書く仕事を担当することとなった。最終的には、このプログラムを複数の計算ユニットで並列化する予定である。自分は、並列化処理をした経験が全くない。かなり勉強しないと、仕事を完成させられない気がしている。

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2009年1月 3日 (土)

仕事に身の入らない日

朝起きて朝食を取ってから、Jaynes-Cummings modelの崩壊・復活現象に関する論文原稿の推敲をする。かなり手直しをする。研究ノートと論文原稿とを見比べていると、一ヶ所、計算上、非常に重大な誤りを発見する。それで、慌てて計算の見直しをする。幸い、その誤りは、研究ノートの上での単なる書き間違いであった。研究ノートのページが進むにつれて、その誤りを自分は無意識に修正していた。 20090103blog_2

昼食後、息子の漢字ドリルの手伝いをする。

今日の午後、自分は、職場で新しく与えられる予定の仕事の下調べをしようと考えていた。それで、必要な書類をいろいろ眺めていたのだが、なかなか身が入らず、結局、ほとんど進まなかった。こういう状態で1月5日に出社して、果たして自分は大丈夫だろうか、と考えたりする。

夕方、妻に、寒中見舞いはがきをWordで作成するように頼まれる。

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2009年1月 2日 (金)

元旦のディズニーランド

昨日、2009年元旦は、朝5時30分に家族三人で起床し、バスと電車を乗り継いでディズニーランドに出掛ける。この日(元旦)朝早く起きるため、自分たち家族三人は、大晦日の「NHK紅白歌合戦」をテレビで見ることもなく、早々と床に就いた。20090102blog

JR舞浜駅前に到着したのは、朝7時30分頃であった。ディズニーランドは、元旦は、午前2時から午後22時まで営業ということで、すでに園内には人が溢れていた。しかし、通常よりも人出は少なめな気がした。元旦の朝からディズニーランドに出掛けるのは、気合の入ったカップルくらいだろうと思っていたのだが、自分たちのような家族連れも結構いた。

自分たち家族は、ホットドックのセットで朝食を済ませ、早速、「カリブの海賊」に向かう。自分は、1985年(だったと思う)に生まれて初めてディズニーランドに訪れて以来、ディズニーランドを訪れる際は、必ず、この「カリブの海賊」に乗ることにしている。(この日も、結局、「カリブの海賊」を計三回体験した。)

生まれて初めて「カリブの海賊」のボートに乗った際、自分は、海賊達の人形の動きのリアルさにとても感動した。自分にとって、そのアトラクションは非常に斬新だったのである。しかし、7, 8年経つと、ちょっとマンネリかな、と思うようになって来た。ところが、今、この時代に「カリブの海賊」を見ると、別の意味で、とても面白いな、と感じられるようになって来た。何となく、のどかな味わいがあるように感じられるのである。3Dのリアルなコンピュータグラフィックを見させられるより、こっちの方が趣があるような気がしてくるのである。

ところで、「カリブの海賊」は、時代と共に、少しずつ技術的な改善が図られているようであった。例えば、これまで、「カリブの海賊」の建物内、および、付属のレストラン内では、水質を維持するためか、塩素のような薬品の臭いが少ししていた。しかし、今回の「カリブの海賊」では、そのような薬品の臭いが無くなっていた。恐らく、水質を維持する方法を変えたのであろうと推測される。

また、ホログラムのような画像を、ボートが突き抜けるシーンが追加されていた。さらに、ボートの旅のラストでは、ジョニー・デップ扮するジャック・スパロウそっくりの人形が登場する。この人形は、とても精巧に出来ていた。

自分は、家族三人でとても楽しく、ディズニーランド内を回った。しかし、午後を過ぎたあたりから、何となく他人の視線が気になるようになって来た。何人かの人が、自分のことを指差して、自分のことを噂し合っているような感覚がした。特に、トゥーンタウンのエリアを歩いていると、そんな気持ちがした。

家族で行動している際に、自分が、他人から監視されているような(妄想の)症状が出た場合、自分は、「とにかく、今は、自分には、家族サービスする義務がある」、と考えるようにしている。そして、なるべく何も考えずに、黙々と、そして、坦々と、義務として、家族と共に行動することにしている。そのような心境になれるようになったのは、比較的最近のことである。しかし、夕方、日が暮れ始めた頃から、自分は、調子を取り戻し、精神的に安定して、アトラクションやレストランでの食事を楽しめるようになった。(辺りが暗くなったので、周囲の視線を感じなくなったのかもしれない。)

自分たち家族は、結局、夜の9時30分までディズニーランドにいた。14時間近く遊んでいたことになる。

今朝は、遅い時刻に目を覚ます。Jaynes-Cummings modelの崩壊・復活現象に関する論文の草稿をlatexファイルとしてタイプし終える。しかし、まだ、かなり推敲の必要がありそうであった。

1月5日から仕事始めである。職場の上司から、自分は、あるパッケージソフトを並列化(複数のCPUによる並列処理化)する仕事を担当する予定、と言われている。そのため、そのパッケージソフトの仕様を勉強しておくように指示されている。それで、早めに、その勉強に手を付けなくては、と思っている。

今夜は、ビデオ録画した「NHK紅白歌合戦」を見ようかなと思っている。

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