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2009年2月

2009年2月22日 (日)

ややお疲れ気味の日曜日

朝起きて、昨日、精神科のお医者様から指示されたように、セロクエルを1錠服用する。それから、朝食を取ったのだが、すぐ眠たくなってしまう。それで、しばらく横になって休む。すると、気が付いたら昼過ぎになってしまい、昼食を取る。20090222blog

昼食後、久しぶりに量子情報理論の研究をしてみようと思い、研究ノート(使用済みのA4のコピー用紙の裏側に計算式を書き連ねたもの、全部で十枚ぐらい)を読み返す。この研究ノートに目を通すのは、恐らく三週間振りである。しかし、どうした訳か数式の意味する所が、自分の頭の中に上手く入らない感じであった。後で読み返しても理解できるように、きちんとまとめて数式やメモを書いたつもりだったのだが、かなり忘れてしまって、内容を把握できない状態になっていた。

それで、一時間ほど計算メモを読み返していたのだが、結局諦めてしまう。計算メモの内容を、一日で思い出すのは不可能と考えたのである。毎日、一二時間ずつメモを読み返して、徐々に思い出すしか手はなさそうである。

そんなことをしているうちに、もうすぐ夕方、という時刻になっていた。今日は、何もしないで一日が終わりそうである。自分は、少し疲れているのかもしれない、と思った。

妻と息子は、この正月にディズニーランドに行ったばかりにも拘らず、もう、次回のディズニーランドの計画を話し合っている。この二人の、ディズニーランドに対する情熱は、なみなみならぬものがあり、正直、自分はついて行けない感じである。次回は、舞浜近くの格安ホテルに一泊して、ディズニーランドとディズニーシーに二日続けて行ってみようと相談しているようである。しかし、二日続けてディズニーリゾートに行くなんて、自分に、そんなエネルギーがあるか、はなはだ疑問である。

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2009年2月21日 (土)

薬の量を増やすことにする

朝起きて、精神科クリニックに出掛ける。お医者様と、いろいろ相談をする。自分は、前回の診察で、睡眠薬を変更してもらった。これは、ここ数ヶ月の間に、就寝直前の数十分間の行動の記憶を失う、または、睡眠直前から睡眠中にかけて、無意識にいろいろな行動を取ってしまう、いわゆる健忘のような症状が現れたので、これを抑えるための処置であった。20090221blog

今日、自分はお医者様に、記憶が失われる症状はなくなったのだが、地下鉄に乗っているとき、他人から、強い視線のようなものを感じたり、何か自分の行動が観察されているような感覚がする、と話した。また、職場で、周囲の人から、やはり、じろじろ見られたり、また、自分に対して悪意を持って、わざと無視されるような気がしている、と話した。

お医者様に話をしていると、「職場で同僚から、理由もなくじろじろ見られる」ということと、「職場で同僚が、自分に悪意を持って、わざと無視している」といううことは、同僚が自分のことを注視していると言ったり、無視していると言ったりしているわけで、互いに矛盾してはいないか、と自分で考えたりした。

お医者様は、「これらの妄想は、君の心の中で、定期的に繰り返し現れているように見受けられる」、と説明された。それで、セロクエルを増やしてみようということになった。自分は、現在、一日一回夕食後に薬を服用しているのだが、これとは別に、朝、セロクエルを1錠飲んでみよう、ということになった。もし、眠くなって仕事に支障が出始めたら、服用を中止しても良い、とのことであった。

クリニックでの診察が終わったら、次に、自分は、大岡山東京工業大学図書館に向かった。そこで、コンピュータ幾何学(計算幾何学)のテキストを2冊借りた。実は、自分はこれまで、あまり「計算幾何学」という分野を勉強して来なかった。その必要がなかったからである。

「計算幾何学」とは、コンピュータでグラフィックスの問題を取り扱う際に有効な幾何学の手法を研究する学問、のようである。テキストを読んでみると、自分がこれまで見聞きしてきた普通の幾何学、例えば、微分幾何学やトポロジーとは、かなり毛色が違うようである。

今、自分は、職場で、幾何光学のシミュレーションプログラムを作成する仕事を担当している。そのプログラムを書いているうちに、2次元平面上の任意の凹多角形を三角形に分割する必要が出て来たのである。

ちょっと考えると、任意の多角形を三角形に分割するなんて、簡単なプロセスではないか、と思えてしまう。しかし、凹多角形の場合、ことはそう簡単に行かないようである。この問題は、計算幾何学の分野では「美術館問題」と呼ばれているようである。凹多角形の形をした美術館の建物内に、監視員を何人、どこに立たせれば良いか、という問題である。「計算幾何学」の分野では、このように簡単に見えて未だ未解決、という問題が、結構多いようであった。

話は前後するが、職場で取り組んでいる幾何光学シミュレーションプログラムは、今週で、一応一区切りが付いた。プロジェクトを開始するに当たって、最初に決めたプログラムの大まかな機能を、全て盛り込んだ試作品としてのプログラムが一応完成したのである。それで、社で商品として従来から販売されているソフトウェアと、自分が書き上げた試作品プログラムとで、同じ問題を解かせて、性能の比較を行うことになった。

性能比較テストの結果、自分の試作品は、これまで販売して来たソフトと同程度のパフォーマンスということであった。それで、自分の直属の上司は、一応合格と判断してくれた。試作品としては許容できる範囲内の性能、ということのようであった。

そんなわけで、自分はちょっと一安心したのだが、それもつかの間であった。上司は、自分に、プログラムのエンジン部分だけではなく、入出力周りのGUI(Graphical User Interface)も作成させる予定のようであった。これは、自分にとって負担を感じる仕事である。というのも、自分は、そのようなGUI部分を設計した経験が全くないからである。

また、これとは別に、試作品のプログラムエンジン部分を、並列化する作業も行わなくてはならない。ただし、この作業は、以前からプロジェクトの予定に入っていたので、やるしかないと考えていた。

妻は、「職場でいろいろな仕事を任せてもらえるのは、良い兆候ではないか」、と言っている。確かに、いろんな仕事をする機会が与えられているということは、それだけ、自分が頼りにされている、ということなのかな、と考えた。仕事をきちんとすれば、また、リストラに遭う、という可能性も低くなるわけで、歓迎すべき事柄なのかもしれない。

最近、我が家では、「鳩サブレー」がブームである。自分も職場に持って行って、休憩時間に食べたりしている。

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2009年2月16日 (月)

「子ども会会計報告の簡単な書き方」

突然ですが、このブログを訪れる方の中に、「子ども会」、「会計報告」というキーワードで検索した結果、このページにたどり着いた、という人が、意外に多いことに気付きました。20090216blog

それで、思い切って、「子ども会会計報告の簡単な書き方」というホームページを立ち上げました。興味のある方は、以下の、URLをクリックして下さい。

http://www.ac.auone-net.jp/~hiro-ph/kodomokai.htm

Excelファイルがダウンロード出来て、それを参考にして、加筆補正すれば、簡単に会計報告書が出来るようになっています。

これからも、徐々に改良を加えて、より一層良い会計報告書が手軽に作れるようにしていきたいと考えています。よろしくお願いします。

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2009年2月15日 (日)

花粉症?

昨日から、自分と息子は、はなみずが出て困っている。妻は、花粉症だろう、と言っている。昨年の1月から東京で一人暮らしを初めて、数ヵ月後の2月、3月に、やはり自分は花粉症で悩まされていた。そういうわけで、あれから1年経ったのだな、と改めて感じた。20090215blog

朝から、職場から家に持ち帰ったC言語プログラムの修正の仕事をしているのだが、あまり、はかどらなかった。

現在の、職場での自分の上司は、仕事が一段階進むと、それ以上の分量の仕事を部下に与えるタイプの人のようである。そういう訳で、仕事に区切りというものが、なかなか来ない。そのため、いつも、早急に、こなさなければならない仕事が、目の前に控えている状態となる。自分の上司は、部下が一定の仕事をこなせると分かると、「この程度の仕事は任せて良いだろう」と判断して、さらに次の仕事を任せてしまうようである。「部下を信頼してくれる良い上司」という見方も出来るが、自分は、「結構、しんどいな」、と感じてしまう。

それに、「(商用の)プログラムを書く」という仕事は、なかなか終わりが来ない仕事のようにも感じる。一度、プログラムを完成させても、「お客様の利便性を考えると、ここを改良した方が良いのでは」、と思える点がいくらでも出てくるので、なかなか終わり、つまり、「これで完成」という状態、が来ないのである。

でも、今の職場の同僚のみんなから一定の信頼を得るまでは、出来るだけ与えられた仕事をスムーズにこなさなくては、とも思う。自分は、これでも結構、気を使いながら仕事をしているのである。

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2009年2月14日 (土)

ポテトチップスチョコレート

今日はバレンタインデーということで、自分と息子は、妻からチョコレートをもらう。息子は、ポテトチップスチョコレートというものをもらう。自分と息子は、もらったチョコレートを少しずつ交換し合った。息子のもらったポテトチップスチョコレートは、ポテトチップスにチョコレートをかけて固めたもので、甘いと同時に塩辛い味がした。20090214blog

最近、ずっと、強い妄想に悩まされている。地下鉄に乗っているとき、周囲の人の視線を感じ、何だか自分が観察されているような気がするのである。また、職場でも、同僚の社員の多くが、自分に悪意を持っていて、自分のことを故意に無視しているような気が、何度かした。このような状態で、果たして仕事が続けられるかどうか、少し自信を失う。

今週末は、自宅で、職場から持ち帰った仕事の続きをする予定である。C言語のプログラムを書く仕事である。昨日の夕方まで、職場で現在担当している幾何光学プログラムのエンジン部分のテストをしていた。テストで不具合が出る度に、プログラムを修正していく仕事である。この仕事が一区切り着いたので、今度はエンジン部分のプログラムに拡張機能を持たせることとなった。それで、今週末も自宅で仕事をすることとなった。

時間の合間を見つけて、中島敦著の「李陵」という短編小説を読もうとしたのだが、文章が文語調で、ほとんど読み進むことが出来ない。自分は、このような格調高い文章の小説を読むのが苦手である。このことを自分は、高校、大学で、古文や漢文を真面目に勉強しなかったツケであると理解している。また、これと同時に、坂口安吾著「堕落論」(新潮文庫)という本を読んでいる。こちらの方は、比較的読み易い文章で書かれている。

この坂口安吾の「堕落論」に収められているいくつかの評論、随筆は、戦後、GHQによって出版禁止処分にされていたようである。自分には、これらの文章のどの部分がGHQと衝突したのか良く分からなかった。確かに、多少過激な意見も書かれているのだが。

それから、何故か林芙美子の「放浪記」を読みたくなった。坂口安吾の文章が、以前読んだ林芙美子のその小説の文章に、何となく似ているような気がしたのだ。

社会人になってすぐの頃、自分は林芙美子著「放浪記」を何度か繰り返し読んだ。この「放浪記」という本は、昭和初期に書かれた本なのだが、やはりこの本も、政府によって出版禁止処分になっていたそうである。(出版禁止処分ではなく、小説中の一部が、伏字、削除、もしくは、墨塗り、だったのかもしれない。また、戦時中のことだったかもしれない。その辺についての自分の記憶はあいまいである。)そのようなことを、自分は、学生時代何かの本を読んで間接的に知っていた。それで、社会人になって自分の時間が出来てから、この本を読んでみたのである。

自分で読んでみたところ、「放浪記」において、出版当時の規準で、政治的に見て過激または不適当と思われる記述の部分は、ほんの二三行であった。(もちろん、これは自分の単なる推測または憶測であって、客観的なものでは全くない。)それ以外は、普通に読んで面白い、自伝的小説だった。ところで、女優の森光子さんが、この「放浪記」を題材とした演劇の舞台で、「でんぐり返り」をすることになっているそうである。自分は、「放浪記」のどの場面で「でんぐり返り」をするのか、良く分からない。自分が読んだ限りでは、小説「放浪記」のどの場面でも、主人公が「でんぐり返り」するシーンはなかったように記憶している。自分は、「放浪記」の文庫本を、どこかになくしてしまった。それで、もう一度、手にとって読んでみたい気持ちである。

夜、風呂から上がってから、息子とトランプをした。ババ抜きと七並べをした。

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2009年2月11日 (水)

湯気は、気体、液体、固体のうちのどれか?

明日、息子は小学校で、理科の学力テストを受けるとのことである。この学力テストは、最近授業で習った単元について出題されるのではなく、一年間の学習成果を問うものらしい。それで、今年度の4月から習った理科の内容について、おさらいをしようということになった。それで、理科のドリルの、これまで解き残した問題を、やってみようということとなった。20090211blog

息子は、理科ドリルの分からない問題について、父親である自分に質問するのだが、大人でも分からない問題の方が多いような気がした。また、自分が子供の頃、小学校で習った内容と、微妙に食い違う問題も見られた。例えば、ナナホシテントウという昆虫(てんとう虫の一種)の幼虫および成虫が餌として食べる虫は何かという問題では、自分はアリマキと答えたのだが、今はアブラムシと答えるべきらしい。(アブラムシの別名がアリマキなのだそうである。)「トノサマバッタが一年の内のいつ頃孵化するか」、とか、「ツルレイシという植物の花の色は何色か」、とかは、自分は答えが分からず、止む無くインターネットで検索して答えを探した。(ツルレイシとは、ゴーヤ、つまり、苦瓜の別名で、今の小学生は、この植物の生育の様子を調べるようである。自分が小学生だった頃は、専ら、ヘチマを栽培していたような気がする。)

ところで、息子の理科ドリルに、次のような問題が掲載されていた。「以下のものは、気体、液体、固体のうちのどれか、答えなさい。(1)湯気、(2)水蒸気、(3)お湯、(4)氷」

自分は、「湯気も水蒸気も気体である」、と、息子に教えた。しかし、不正解であった。理科ドリルの巻末の正解例を見ると、「湯気は液体」、「水蒸気は気体」、なのだそうである。自分は、「うーん」と唸ってしまった。理科ドリルの解説によると、湯気は、細かな水の粒子が空気中に漂った状態で、気体ではなく、水なのだそうである。その証拠に、湯気に手をかざすと、手のひらが濡れる、と書かれていた。確かに、言われてみればそうかもしれないが、「これって、小学生には難し過ぎないか」、と思った。恐らく、多くの大人がこの問題に対して不正解を出すであろう。

しかし、とにかく、理科ドリルに現に問題として掲載されているのだから、これを理解して明日の試験に臨まなくてはならないわけで、息子は、二三時間、理科ドリルに取り組んでいた。小学生も結構大変である。

自分は、今日、Visual C++  Express 2008の使い方を勉強した。現在、職場で担当している仕事では、Visual C++を使用してプログラムを組むように指示されている。しかし、自分は、いわゆるMicrosoft社製のVisual Studioの使い方を十分理解しておらず、Visual Studio C++を、単なるC言語のコンパイラーとしてしか、使えていない状況である。

Visual Studioには、様々なライブラリと呼ばれる補助プログラムが用意されており、若い優秀なプログラマは、これらをゲーム感覚で使いこなすようである。そうやって、例えば、グラフィックの美しいプログラムを短期間で完成させてしまうのである。

自分は、こういう作業が、一般的に言って苦手である。自分はこれまで、コンピュータプログラムとは、なるべく少ない単純な命令のセットを、工夫して組み合わせることによって、より高度で複雑な内容の情報処理を実行するもの、と考えていた。Fortranといった数値計算に向いたコンピュータ言語は、今でもそういう傾向である。しかし、昨今のプログラマは、そういう考えをしないようである。

でも、「分からない」、とか、「知りません」、というような言い訳は、職場では、いつまでも通用しないようなので、結局、自分で勉強するしかない、と諦めている。

そういう訳で、今日は、親子仲良く、食卓で並んで勉強していた。

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2009年2月10日 (火)

仕事が上手く行かなかった日

今日、職場でいつものようにプログラムを書く作業を行っていたのだが、原因不明のバグらしきもので引っかかり、思うように仕事がはかどらなかった。20090210blog

数日前に、プログラムが区切りのいいところまで仕上がったので、様々なテストデータを入力して、正しい出力が得られるかどうか確かめる仕事をしていたのだが、一定の容量以上のデータがプログラムに与えられると、プログラムの動作が不安定になり、正常終了してくれない事態となった。それで、その原因を半日かけて探したのだが、だめだった。

しかし、明日は休日なので、しばらく頭を冷やして、また、気分を新たに取り掛かろう、と考えた。

明後日、息子は、理科と国語のテストがあるらしく、その準備を明日手伝って欲しいと頼まれる。

息子の勉強は、最近、意外と難しくなってきている。算数以外は、気合を入れないと、間違ったことを教えそうである。先日、国語の時間のテストで、「あながち」という言葉は漢字でどう書くか、という問題が出たそうである。答えは、「強ち」、だそうである。これは、大人でも正解は無理ではないか、と考えた。

クラスには、中学入試の準備のために塾に通っている子供もいるようで、かなり難しい問題が出ても、特に苦情は出ないようである。20090210blog_3

最近、通勤時間を利用して、中島敦著「李陵・山月記」の文庫本を読んでいる。文語調の文体だが、小説自体の長さは、かなり短めなので、何とか読めている。

また、自宅では、シャーロックホームズの短編集を読んでいる。こちらの方は、先日、息子が読むかと思って、目黒区立洗足図書館から借りてきた本である。子供向けに、原作を読みやすく手直ししてある、はっきり言って、小学生用に書かれた、ダイジェスト版である。しかし、これが、大人が読んでも、結構面白い内容となっている。やはり、原作が良いから、ついつい読み続けてしまうのである。

そう言えば、コナン・ドイルといい、アガサ・クリスティといい、何てイギリス人は推理小説が好きなのだろうか、と考えた。そして、イギリスに住んでいた頃のことを、少しだけ思い出したりした。

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2009年2月 8日 (日)

どちらが簡単?

朝起きて、少しだけ、息子の算数ドリルの手伝いをする。ドリルに、次のような問題があり、息子は妻にどうやって説けばよいか尋ねていた。

「二等辺三角形は、二つに折りたたんで、ぴったりと重ね合わせることが出来ます。下に描いてある二等辺三角形について、折り目を線で引きなさい。」20090208blog

妻は息子に、解き方として、次の手順をするようにと説明した。
(1)「二等辺三角形の、互いに等しい二つの辺以外の、残る一辺の長さを測る」
(2)「その長さの半分の所を、定規で測って目盛りを付ける」
(3)「目盛りの点と、その目盛りが打ってある辺の向かい側にある三角形の頂点を、線で結ぶ」

この方法は原理的には正しい。しかし、息子は、「残念なことに、このやり方は実行できない」、と言う意味のことを言った。と言うのも、問題に描かれている三角形の辺の長さを定規で測ると、3.1...センチと非常に半端な値で、上手く2で割れないと言うのである。

それで妻は、およそ3.1センチということにして、1.55センチの所に目盛りを打てば、と言った。しかし、息子の竹製の30センチ定規には、1ミリ単位でしか目盛りが打っていない。これでは、無理ではないか、ということになったのである。

それで、自分は、次のようにして解けば良いのではないか、と提案した。
(1)「コンパスを用意して、コンパスの針と鉛筆の間の間隔を、三角形の辺(等しい二つの辺以外の残りの辺)より少し長めに取る」(息子のコンパスは、短い鉛筆をネジで閉めて取り付ける方式のものである)
(2)「二等辺三角形の二つの等しい辺以外の残る一辺の両端の頂点に、コンパスの針を置き、辺の上側と下側に、小さな弧を描く。この操作を、辺の両端の二つの頂点に対して行う」
(3)「先ほど描いた合計4つの弧は、辺の上側、下側で交わる。(辺の上側で二つの弧が交わる。同様に、辺の下側でも、二つの弧は交わる。)そこで、辺の上側、下側の弧の交点を定規で結ぶ」

なぜ自分はこの方法を息子に提案したかと言うと、算数ドリルのそのページには、コンパスの使い方を練習させる問題が幾つか並べられていたからである。妻と息子は、上の二つの解き方に関して、どちらが易しいか議論を始めた。

結局、妻の示した解き方より、自分の示した解き方の方が、小数点の数を2で割らなくて済むだけ簡単である、と言う結論で落ち着いた。

こういうことを言う資格は自分には全くないのだが、最近の小学生の算数の課程では、幾何学に関する記述が、自分の小学生時代に比べて、非常に少なくなっている気がする。妻にそのことを言ってみると、「あなたは中学校で習った数学の内容と、小学校の算数の内容を混同しているのではないか」、と言われた。

しかし、その一方で、今の小学生は、いくつかのテーマに関して、アンケート調査のようなことを実施して、その結果をグラフにする、というような方法論を一つの単元として勉強しているようである。例えば、折れ線グラフ、ヒストグラム、円グラフの違いを、理解させるようなことが行われているようである。(「ヒストグラム」と言った、専門用語は覚えなくて良いのだが。)自分には、これは、表計算の訓練のように思える。自分の小学生時代、このようなことは習わなかった気がする。今の時代では、多くの子供たちが、将来、職場で表計算ソフトを使うであろうから、このような訓練を早い時期からすべき、ということなのであろうか。

この表計算的なデータ処理の訓練は、算数だけでなく、国語の発表授業や、「総合的な学習」と呼ばれる科目でも行われているようである。

今の子供が学校で学んでいる内容は、「ゆとり教育」という政策のため、一昔前の子供が学校で学んでいた内容より貧弱になっている、という論調を新聞、テレビ等で目にする。(例えば、「円周率を3.14ではなく3にしてしまっている」等。)自分は、この考え方に必ずしも与しない。ただ、学習内容に多少の変化があるのは事実のようである。

今日は、現在、職場で担当している幾何光学プログラムの、入出力周りのプログラムを書く仕事を、する予定である。ここしばらく、量子情報理論の研究はお休み状態である。早く、今の仕事が一段落したら良いのにな、と考える。

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2009年2月 7日 (土)

様々な事

朝起きて、精神科クリニックに向かう。お医者様に、「ときどき記憶が途切れてしまうようだ」、と相談してみる。すると、お医者様は、「そういう症状は、まれにしかないと思う。ハルシオンとアルコールを同時に摂取した場合、記憶を一時的に失うという症例を聞いたことがある」、と説明して下さった。しかし、自分の場合、記憶が途切れてしまったと思われるのは、アルコールを飲んでいないときなので、お医者様は、少し不思議そうな様子であった。20090207blog

ハルシオンとアルコールを同時に摂取した人は、例えば朝起きて、部屋にコンビニの袋がおいてあり、確かに買い物に出掛けた形跡があるのに、買い物に外出した覚えがない、というようなことが起こり得るらしい。お医者様は、そう説明して下さった。

しかし、自分はアルコールを飲んでいなくても記憶が途切れているようである。少なくとも自分はそう考えている。お医者様は、「本当にそんな事が起こるのかね?」、というような表情をされていた。何だか、自分の言っていることが疑われているような気分がした。そして、何だか、自分で自分の言っていることに自信がもてない気持ちになった。

結局、睡眠薬の組み合わせを変更してみることとなった。

自分は、少し考え過ぎなのかもしれない。

その後、目黒区立洗足図書館に寄る。本を返して、また、新たに数冊の本を借りた。息子から、「名探偵コナン」のマンガが置いてあったら借りて来て、と頼まれていたのだが、お目当てのマンガはなかった。それで、その代わりに、子供向けに書かれた「名探偵シャーロック・ホームズ」の本を二冊借りた。「赤毛連盟」とか、そういったホームズ物の有名な短編がダイジェストで収められた本である。

それから、JR三鷹駅に向かう。武蔵野市市民文化会館に向かう。そこで、東京セラフィックオーケストラというアマチュア楽団のオーケストラが開かれるからである。曲目は、ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲、アルビノーニ:オーボエ協奏曲ニ短調作品9第2番、ピアソラ:「リベルタンゴ」、ドヴォルザーク:交響曲第8番であった。また、アンコールは、ブラームス:ハンガリー舞曲第5番であった。

自分は、最初、ドヴォルザーク:交響曲第8番以外は、知らない曲、聴いたことのない曲だと思っていた。しかし、ワーグナー、ピアソラ、ブラームスの3曲は、テレビCMで聴いたことのある曲であった。特に、ピアソラ:「リベルタンゴ」は、CDでもう一度聴きたいなと思った。

客席は半分くらい埋まっていた。皆、気軽に来てみた、といった風情の人たちであった。

今日もそうだったのだが、最近、自分は、電車に乗っているときなどに、周囲の人からじっと見られているような感じがしている。それも、恐らく妄想なのだろうけれど。

今日、自分は、時間の合間を見て、プログラミングの仕事をした。洗足図書館でも、閲覧室の机で小一時間、C言語のプログラムを書いた。今日は、ノートパソコンをリュックに入れて持ち歩いていたのである。

今担当している幾何光学プログラムを書く仕事は、大体四分の一程度進んだ状態である。プログラムのエンジン部分は、一応プロトタイプとして完成させた。しかし、これを並列化させる仕事が残っている。また、入出力周りのプログラムが、意外に時間を取りそうな感じである。

最近、何だか、毎日がひどく疲れる感じがしている。生きているのに疲れた感じがしている。自分は取るに足らない人間で、自分の人生は、さらに取るに足らないように思える。

自分がこの世からいなくなった場合、困るのは、恐らく妻と息子だけであろう。だから、結局、自分は、妻と息子のために生きている、もっと具体的に言うと、妻と息子の生活を成り立たせるために、自分は働いている。そう考えることにした。と言うか、そう考えるのが妥当だろう、と考えた。

最近の自分は、週末は決まって、図書館かアマチュアオーケストラの演奏を聴きに行くことに時間を費やしている気がする。それなら、お金がかからない訳で、「これで、いいや」、と思っている。

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2009年2月 1日 (日)

特に何もなかった日曜日

朝起きて、今職場で取り組んでいるC言語プログラムのバグを修正する作業をする。2時間程で作業を完了する。もっと時間がかかるかと思っていたので、少し拍子抜けする。20090201blog

4月中旬に、情報処理推進機構という団体が主催している、基本情報技術者試験という資格試験を受けることになる。それで、試験勉強のようなものをする。過去問がダウンロードできるので、それを試しにやってみたりする。

この試験は、合格率が20パーセント前後だそうで、結構難しい試験のようである。この資格を持っていると、職場から他の会社に出向する際、出向先から自分たちの会社に支払われる時間給がやや高めに設定される場合があるらしい。そのため、この資格を持つことは、社の売り上げに間接的に貢献することになり、社内で奨励されているようである。

しかし、全般的には、今日は何もない静かな一日だった。

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